Be Myself
akkyです。
2018年10月に念願のコミュニティを立ち上げました。
こじんまりゆる〜くHAPPYなコミュニティとして定期的にイベントを開催していきたいと考えています。
実はこのコミュニティには裏目的が!
それは「私が私らしく居る」場所の一つにすることなんです。
気のおけない仲間とともに素敵な場づくりをと企んでいます。
では、私の私らしくって何?と、いうことで、この場を借りて少しずつ自己開示ができればとブログを始めました。
どうぞお付き合いください。
コミュ障で人見知りだった幼少期。
私こう見えてコミュ障だったんですよねー。
って言うと、絶対ウソや!って言われるんですが(笑)
そりゃそうだろうよ!血の滲む努力、したっちゅーの!って思うわけです。
私は7人家族。
祖父母と父母、弟が2人という構成なのですが、とくに祖母と母は躾に厳しい人でした。
「●●してはいけません」の禁止令から始まり、「世間様にカッコ悪い」という世間体をとても大事にする人で、良い子でいなければ即刻死刑になるのではないかという恐怖感とともに過ごしていた記憶がまざまざとあるのです。
ちょっと過激ですが、当時は発言しても正しくなければ怒られるわけですから、どもったり、「あのな〜」と何度も繰り返し、本題に入れない状況が多くありました。
外に出てもそれは同じでしたね。さらに正しく話せない自分に自己否定が加わり、極度の人見知りが発症。
結局のところ、正しいの定義ってなんだったんだろう?
3歳の頃は今思うと失礼な行動を取っていましたね。
血縁関係にあるおばはOK、でもその旦那さんであるおじはNG!背中を向けて顔も見ようとしない始末。
4歳からは、地元の保育所に通っていましたが、一番印象に残っているのは遠足のお弁当タイム。みんなで輪になってお弁当を食べるシーンを思い浮かべてくださいね。
私は後ろ向き、つまり外側を向いて座り、黙々とお弁当を食べる子に育っていました。
大きくなるに連れ、田舎なのでクラス替えはなく、まわりのお友だちに助けられ、だんだん馴染んで本来の明るさを徐々に発揮できるようになっていったと記憶しています。
それでも目立ちたくない。
小学校、中学校、そして高校。
地元の学校に進学しますが、授業でも何でも、とにかく前に出たくない症候群。これは後で分かるのですが、母親譲りだったようで。
小さい頃から「正しく出来なければダメ」の世界から開放されることはなく、100%完璧に出来ない自分への自己否定と、出来ないなら人様にお見せするなんてもってのほかという信念がつきまとい、いざ何か発表しなければならない場面に出くわしたものならばもう内心バクバク、ストレスフルな時間を過ごすことになっていたのです。
これは、大人になっても続いていきます。。。
そんな私が出した答え。
このままではイカン!と、私が考えに考え抜いた先には、「ホテルマンになる!」という答えがありました!
家族旅行で訪れたホテルで、とっても良くしてくださったホテルのお姉さんが印象的で、かつ、当時放映されていた高嶋政伸さんの「姉さん!事件です!」でお馴染みのHOTELが面白くって、なぜか頭に残っていたのです。
加えて、ホテルの専門学校に行けば、これまで困っていたコミュニケーションと、それらを活用したサービスというものを体系的に学ぶことが出来、本来は人と接すると楽しいということを本能的に感じ取っていた私にはピッタリなのではないかと選択したのです。
高校を卒業してホテルの専門学校(夜間)に通いながら、ホテルのラウンジでアルバイトをしながら田舎娘の私にとっての修行がスタートしました。
私たちの代からスタートした寮制度に乗っかり、土地も、学校も、友だちも、仕事も、何もかもが初めての生活が始まりました。なんとか空気を読みながら、目立たぬように真面目に真面目に過ごす日々が始まったのです。
今思えば、そんなに窮屈に頑張る必要は無かったのに、、と、微笑ましくなりますが(笑)
あの頃はまだまだ“正しくあるべき”がはびこっていたんですね。
小さい頃に焼き付けられたものって、根深くその価値観で言動に繋がっていくんですよね。今だからこそ、分析ができるというものです。
社会人。コミュニケーションとやらに真剣に向き合った6年間。
ホテルの専門学校でサービスのいろはを学び、ラウンジのアルバイトをしながら実践で取り組んだ2年間を経て、同じホテルに就職しました。
念願のブライダルコーディネーターになり、初めて新郎新婦様を一人で担当することになったいわゆるデビュー戦は、嬉しさと緊張でどこまでも高揚感が続くような幸せな瞬間でした。
しかし、試練はここから。
体系的に学んできたサービスのいろは。実践でやっと普通にコミュニケーションを取れるようになったラウンジの経験は、活かされていないことは無いにしろ、『営業』の場では、それだけではなかなか通用しないということを実感させられるのです。
ブライダルコーディネーターは、待ちの営業と言われ、新規で新郎新婦様が会場見学にお越しになり、そのお二人に当ホテルで挙式&披露宴を執り行っていただくよう成約することが第一のお仕事となるのです。
もちろんお作法や接客方法は先輩スタッフからOJTで学ばせてもらい、もう一人立ち出来るねという判断のもと一人でお客様対応を任されるというフローでした。
しかし、それと成約率、つまり営業ができるかどうかはまた別物。
当然ですよね。マニュアル通りやってお客様の契約が取れるとか、、そんな簡単なものではないですよね。
やっとコミュニケーションの壁を乗り越えたと思った矢先に、今度は営業たるもの、通り一遍なコミュニケーションではお客様の要望も引き出せなければ、それを叶えて差し上げることも出来ないんだという高い高い壁にぶち当たりました。
当時は、コミュニケーションにコンプレックスがあったため、きっと普通の人には出来ることなんだ、だからやっぱり私はダメなんだという再びの絶望感とともに、しかし私は好きな仕事に就けたんだという感謝で心のシーソーゲームをしながら、苦肉の策で編み出したコミュニケーション克服プログラム(勝手に)を執行しました(一人で)。
それは、ドラマを観まくってコミュニケーション能力を高めるという作戦でした。
ドラマは、全話観ることで、もしくは回想シーンなどで、コミュニケーションの答え合わせをすることができます。
例えば、この主人公がなぜいま泣いているのか?その答えは、あのシーンで彼の言った一言がひっかかっていて、それを思い出させるような言動が目の前で起こったから。とか。
そうやって、人の表情や言動、機微が、後のコミュニケーションにどう繋がっているのか?という研究を続けていったのです。
研究結果として、私の中にコミュニケーションデータベースがどんどんたまって、ふとした新婦様の表情を感じ取っては、自然とドラマのワンシーンで使われていたセリフの一文を文字って口をついて出てくるようになっていました。
そうすると、どんどんお客様が、特に新婦様が言いたいことが言える相手になれて、成約率もどんどん上がっていきました。
おかげさまで、成績はトップへ。一番やりたかったブライダルコーディネーターとしての打ち合わせ、そして当日をお迎えになるお二人へ「おめでとうございます」と声をかけることがたくさん叶いました。
同時に、どこへ行っても誰とでもお話が出来るという自信に繋がったのです。
やっとの思いで手に入れたコミュニケーション。
いま現在、ITツールを活用したコミュニケーション研修を行っているとは、あの頃は夢にも思いませんでしたね(笑)